2012/05/27

スピリチュアルな体験

昨日、大好きな林の中をウォーキングしようと、いつものように散歩コースの入り口に向かいました。
すると、たくさんのトンボが私の周りを飛んでいることに気付きました。
(下の写真の右側に写っています。)


不思議に思いながら歩き始めると、風景が普段と何となく違って見えたのです。
まるで、無意味な形が連続している3Dマジカルアイの画面を立体視した時に、意味のある画像が急に浮かび上がってくるような・・・?

いつも見慣れた3次元の世界を超えた、別の次元に入り込んでしまったような気がしました。

その時とっさに頭に浮かんだのは、日本で闘病中の86歳の父のことでした。
一時は携帯メールが打てるほどに元気を取り戻しましたが、ここ数日は眠っている時間が長くなったと聞いていました。

遠く離れているけれど、きっと今なら魂と魂のレベルでコミュニケーションが取れると、なぜか確信したのです。
とても不思議な感覚でした。


 ・を与えてくれたことと、家族が安心して暮らせるよう毎日一生懸命働いてくれたことへの感謝。

 ・子供時代の恵まれない家庭環境、戦後3年間にわたるシベリア抑留生活
  そして17年前の脳梗塞発病による左半身マヒ、今回の下肢動脈血栓閉塞症・・・
  様々な大きな試練に見舞われた父の人生への労わり。

 ・私は、ここミネソタで幸せに暮らしているよ、この地に根を張ってしっかり生きていくよ、
  子供たちもそれぞれ自分の進むべき道をみつけ、前に進んで行けそうだよとの報告。

 ・反発を感じたりすることもあったけれど、結構性格が似ている所もあるな~との気付き。

 ・重い病気と闘いながらも、決して取り乱したり怒鳴り散らしたりはしなかった父、
  自棄にならず、希望を捨てなかった父への尊敬の気持ち。

 ・もし生まれ変わりというものがあるのなら、来世でも必ずまた家族になろうね!との約束。


実際に言葉に出したわけではありませんが、短い時間に上のような思いが次々と頭の中に浮かび、それはしっかりと父に伝わった気がしました。

妖精みたいな青いトンボに続き、美しいも現れてヒラヒラと春のダンスを踊っていました。





家に戻ると、母と妹から連絡が・・・!

4月8日より闘病生活を送っていた父が、とうとう天国に召されたとのこと。

最期は眠るように静かに・・・だったそうです。

時間を聞いたら、ちょうど私がトンボに誘われるように歩き始めた頃でした。
日本に住む妹が花に水をやっている時にも、白いがはらはらと体の周りを飛んでいたそう。

単なる偶然なのかもしれませんが、自力で寝返りをうつこともできなくなっていた父が、肉体の束縛から抜け出し、自由の身になったことを喜んでいる象徴のように思えるのです。


そんなわけで、またもや日本に戻ることになりました。
あちこちのサイトを調べ、航空券を手配するのが大変でしたが・・・
いたずらにゃんこのキキも、いつもよりおとなしく、少し心配そうに傍でじっとしていてくれました。



苦労が多かった分、とても立派な卒業証書を手にしたに違いない父に、
「お疲れさま、よく頑張ったね!」という言葉をかけてあげたいです。

16 件のコメント :

  1. 初めまして。
    いつも読み逃げしておりました。

    お父様、ご病気療養中で心のどこかで覚悟していたとはいえ
    やはりおそばに居なくなられるのは心が締め付けられるくらい寂しいですよね。

    最期にお父様が来てくださったお話、わたしわかります。
    わたしも同じような経験が2度あります。
    来てくれるんです、お別れに・・・
    わたしがもしそうなった時にも、ちゃんとお礼に行こうと思っています(笑)。

    お忙しいと思いますが、お身体ご自愛くださいね。

    英語の7つ星レストランでまた英語を勉強し始めました。
    今回は本気です!!

    またお伺いしますね。
    ではでは。

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    1. andymidoさん、

      はじめまして!コメントありがとうございます。
      やはりあれは、父がお別れに来てくれたのでしょうか。

      実は従兄の時にも伯母の時にも、不思議な「ご挨拶」がありました。
      自分でもそのつもりでいれば、大切に思う人の所に行けるのかしら。

      レストランにもいらしてくださっているのですね。
      英語を忘れてしまった時、実は自分でも時々のぞいています(汗;)
      どうぞ頻繁にご来店くださいね。

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  2. はじめまして。
    いつも読ませていただいてます。

    お父様の事を思うと胸が締め付けられます。
    実は私も同じような体験をしました。
    祖父が亡くなった数日後、見たこともない美しい蝶が飛んでいたことを覚えています。
    相手を想う気持ちが強い人へ現れる姿なのかもしれないですね。

    レストランの方もちょくちょく見てます。

    また来ます!
    どうかお身体には気をつけて。

    では。

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    1. samiさん、

      はじめまして。コメントありがとうございます!
      御祖父様も、蝶の姿でご挨拶にいらっしゃったのですね。
      今日は娘の後をず~っとついてきた蝶がいたそうで、
      ああ、やっぱり・・・と思ったとか。

      今日、アメリカではメモリアルデーという祝日で、
      多くの方が親族や友人のお墓参りをしました。
      亡くなった方を偲ぶ気持ちは、どこの国でも同じですね。

      またレストランの方でもお待ちしています♪

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  3. お父様のご訃報…お悔やみ申し上げます。

    Sakuraさんが遠く離れたところからお父様とお話しになったこと、多分、偶然なんかじゃないんだと思います。本当にそういうことがあるのだと思います。でも、つい最近、東京に戻られてお父様にお会いになったのも、すべて繋がっていることではないかと感じられました。

    「重い病気と闘いながらも、決して取り乱したり怒鳴り散らしたりはしなかった父、自棄にならず、希望を捨てなかった父」

    素敵な、お父様ですね…人間として見習いたいな…と思いました。
    なかなか難しいことだと思います。でも…そうであれたらいいな…と思いました。

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    1. chopianaさん、

      ありがとうございます。
      親はいくつになっても、どんな姿になっても、
      最後まで子に何かを伝えようとしてくれるのだなとつくづく感じました。

      大正生まれの父ですが、若い頃から西洋音楽が好きで、
      朝食も必ずパン食に決まっていました。
      だから、国際結婚にも反対はしなかったのかな?

      クラシック音楽が好きになったのも、父の影響大でした。
      chopianaさんはいかがでしたか?

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  4. おかべ なお2012年5月30日 22:36

    お父様のご冥福をお祈りいたします

    こらからは二人「姉妹」でお母様を支えてあげたください
    父が亡くなるとき、私を含め葬儀にいらした方々がやはり同じような体験をしました。

    最後に逢いたい人・伝えたいこと・・お父様の思いが届いたのでしょう
    親のそういう気持ち 有難いですね
           
    合掌

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    1. なおさん、

      ありがとうございます。
      しばらくネット環境になかったので、返信遅くなってすみません。

      無事に葬儀を終え、少しずつ落ち着いた暮らしが戻ってきました。
      最後の数週間、これまでにないくらい密な時を一緒に過ごせましたし、
      ミネソタまでわざわざお別れに来てくれたので、
      悔いは残りません。

      親って、最後の最後までありがたい存在ですね。

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  5. sakuraさん、たった今お父様の他界を知りました

    素敵なお父様の姿を改めて読ませて頂いて
    皆さんがおっしゃる通りホソミオツネントンボに姿を変えsakuraさんに会いに来てくれた気がします
    信州でもよく見かけるトンボで、成虫で越冬します

    私も母が亡くなる前の晩不思議な夢を見ました
    同じように母の告別式の感謝の辞で「来世でも親子の縁を持ちたいね」と語りました
    17年もの長い間の闘病生活ご苦労様でした
    そして支えた家族の皆様もご苦労様でした
    合掌

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    1. YUKIさん、

      ありがとうございます。返信が遅くなって申し訳ありません。
      あの青いトンボ、そういう名前なのですね。
      初めて知りました。

      私も葬儀の時、生前の父の色々なエピソードを皆様にお話しました。
      多くの方にとって、型物の印象だったようですが、
      かわいらしいところもある愛すべき人でした。
      「来世でも親子作戦」、お互いにうまくいくと良いですね♪

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  6. お久しぶりです。
    そうでしたか~お父様天国へ旅立たれましたね。
    ハレルヤ!
    私の父は53才という若さで病死したのですが、
    恐らくお父様と同年代でしょう。戦争は、軍艦に
    のって南方戦でしたよ。青春が戦争。そんな時代を
    生きた人達。本当に大変だったと思います。
    魂との語らい。信じます。
    強い愛で結びついたもの同士が可能な現象でしょう。
    いつもあなたのお心の中で行き続ける、おとうさま。
    ご冥福を心よりお祈りさせていただきます。
    そして、祈りはあなたとご家族のうえにも。

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    1. みどりさん、

      ありがとうございます。
      父は、20歳から23歳という人生で一番輝かしい時を、
      シベリアで過ごしました。
      口には出せないような、大変な経験をしたことだろうと思います。

      それに耐えて生きて帰ってきてくれたからこそ、
      今の私がある・・・
      まずは、その事実へのお礼の気持ちでいっぱいです。

      そして存命中も今も変わることなく、
      見守ってくれている気がするのです。
      きっとみどりさんのお父様も同じですね。

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  7. お父様 残念でしたね。
    心よりお悔やみ申し上げます。

    このところ忙しかったのでつい読みそびれてしまい失礼しました。
    それにしても不思議な体験ですね。
    きっとお父様、Sakuraさんの住んでいるところへお別れにいらしたんですね、絶対。
    素晴らしいですね、お父様もSakuraさんも。繋がってるんだわ、まさしく心と心が。
    みなさんがおっしゃられているように心の中でずっと、ずっと生きてらっしゃいますよ。
    そして今世でご縁があったんですもの、来世にだってかならず会えますよー!!
    私も20年以上前になりますが父を亡くしてるのですが、どうしてもまた会いたい!のです。
    きっと会えると信じてますけどw
    その時までさようならですね。
    気を落とされませんようにお元気でお過ごしくださいね。
    お父様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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    1. あちちさん、

      ありがとうございます。
      今でもふと、父がひょっこり帰ってきそうな気がする時があります。
      意外とひょうきんな所もあった父なので、
      ふざけてかくれんぼしているのではないかと・・・

      あちちさんも、きっとまたお父様と再会できますよ。
      私もその時には胸を張って会えるよう、
      しっかり前を向いて、誇りを持って生きるつもりです。

      でも、急に寂しくなってしまう時もあるだろうな。。。

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  8. Sakuraーsan、
    最愛のお父様がお亡くなりになられたお悲しみは、計り知れないものとお察しいたします。どうぞお気を強くなさってください。心からお悔やみ申しあげます。

    私も2度同じ様な経験があり、アメリカは遠い、とつくづく思いました。

    sta,

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    1. staさん、

      ありがとうございます。
      私も去年アメリカに引越した時点で、いつかはこういうことも・・・と覚悟はしていました。
      あまりにも早かったです。こんな時、アメリカは本当に遠いですね。

      それでもやはり、二つの違った文化を経験できるって、
      なんてステキなことなのだろうとも思います。
      父も応援してくれていたはず・・・
      病床でも、逆に私のことを気づかってくれることがありました。

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