2022/07/30

やたらと充実していた7月の思い出

急にフライトが変更になって、息子夫婦は予定より1日早く、今日の午後の便で旅立ちました。
今晩は娘の家に1泊し、明日の朝早く日本に戻ります。

出国前72時間以内にコロナの検査を受けて、医療機関等により発行された陰性の検査証明書を日本入国時に提示しなければならないので、昨日予約。
万が一陽性だったら足止めを食らうわけで、少しドキドキでした。二人とも無事でよかった・・・

家の中が急に静かになり、夫も私もちょっと放心状態です。
息子夫婦がミネソタに来てから、娘の結婚式を経て、毎日のように予定がぎっしりでしたのでね。


やっと時間ができたので、7月の思い出を書き残しておきたいと思います。

まずは、親戚の E ちゃんの誕生会。6歳になりました。
お母さん手作りのバースデーケーキには、毎年感心するばかりです。(いかにもアメリカンな色合いにも、毎年びっくりするけれど)
こんなに愛情たっぷりに育てられたら、心優しいお嬢さんに育つこと間違いありません♪
(ケーキの名前の部分は、加工で消してあります)


庭は花でいっぱい。


広~いガーデンには、色々な野菜が元気に育っています。
白菜を使って、今年も自家製キムチを作るそう。
去年のがとても美味しかったので、おすそ分けを心待ちにしています♪




先週末は娘夫婦と義弟もやってきて、みんなで古くからの友人夫婦の家へ。
彼らの息子さんたちも集まり、全部で11名。 ワイワイと楽しかったこと!

ここも花がいっぱいで、いつも居心地が良くて大好きな家です。


若い世代は水上スキーを楽しみ、シニア組は別のボートから声援を送りました。


娘は、水上スキーは何年ぶりかな? 体が覚えていたようです。


童心に帰ってハンモックで戯れる息子と娘。何の話をしているのかな?


用意してくれたポークリブサラダが、美味しかったこと!



その2日後には、我が家の目の前の湖の向かいに夏だけ来る家族と一緒にピクニック
グリルしてみんなで楽しんだ、自家製ハンバーガー。ぶ厚すぎて食べにくい・・・


あちらの息子さんファミリーも、そこに遊びに来ていた友人ファミリーも帰って行ったので、お向かいも急に静かになってしまいました。


そして一昨日は、下の義妹夫婦がお昼ごろに来て1泊。
庭で、2年ぶりのクロッケー croquet 大会が始まりました。
ゲートボールの元となった球技です。

片手にはドリンクを持ったままで、もう片方の手だけでマレットを打つのが私たち独自のルール。
夕方までには、酔っ払いの団体と化しました。
変な障害物に当たったり、コースを間違えたり、他の人の妨害をしたらペナルティのお酒が待っていて、酔いは増すばかり・・・



一体何をやっているのやら・・・


昨日は、上の義妹夫婦も招待してみんなでブランチ。
そして最後の晩餐は、息子が大学生の頃にアルバイトしていたピザレストランへ。


ピザソースは、代々伝わる企業秘密の味だそう。
かなりの大きさですけれど、4人でぺろりと平らげました。

典型的アメリカ料理が続いたので、明日からは胃腸に優しい和食に戻しますよっ!!


2022/07/19

アメリカの結婚式事情がよ~くわかった、娘の結婚式

3週間以上過ぎてしまいましたけれど、そろそろこの辺で、6月25日に行われた娘の結婚式について書いておきますね。
ジューンブライドということだけでもおめでたいけれど、偶然にもジュリー沢田研二さん)の誕生日でもあり、うふふな日でした♪
日本の結婚式とはかなり違う面もあって興味深かったので、それについても触れます。


式場選びから始まり、料理の選択、花の手配、カメラマンやダンスタイムの DJ の手配など、何もかも自分たちで行ったそう。
親の出る幕もほとんどなし・・・招待客の人選も任せました。
結婚式の費用は、アメリカでは花嫁の親が出すことが多いようですが、私たちが協力したのはほんの少しで、とても楽でした。
30代半ばになるまで待った甲斐があったかな?(笑)

大勢の友人たちを招いて、みんなの思い出に残る素敵な式を目指した様子。
細かい所にまで、感心するほど心配りが行き届いていたことにも、拍手を送りたいと思います。


夫と私、日本から来ている息子夫婦は、式の2日前に娘たちの家に到着。
我が家から車で4時間ぐらいで、ミネアポリス郊外の環境に恵まれた住宅地です。
(実は2年前に二人で家を購入してから、既に一緒に住んでいます)
引き出物(日本と違って小さく簡素なもの)をギフトバッグに詰めてタグをつけるのを手伝ったり、ダンスの練習をしたり・・・

アメリカの披露宴では、新郎新婦のファーストダンスを披露するのが定番です。
みんなで大騒ぎしながら練習。かなり笑えました。
息子の奥さんがダンスはお得意で、しっかり指導してくれて良かったこと♪


翌日には、花婿のご両親もアトランタから到着。初めてのご対面でした。
お父様はイギリスの方で、典型的なブリティッシュアクセントで英語を話します。
お母様は、すら~っと細身で背が高い方。
後でお会いしたお姉さま方も、お母様に似たモデル体型でおきれいです。
もしができたら、この方たちのDNAを受け継ぐことを期待しちゃう(笑)
「お嫁に行く」という感覚はほとんどありませんけれど、「娘をどうぞよろしく」と心の中でつぶやいていた私です。

その日の夕方に、式場でスタッフと共にリハーサルを行いました。
入退場のタイミングなど、簡単なものでしたけれど。
アメリカの典型的な結婚式に従い、花嫁と花婿の付き添い人たちが集まってくれました。
それぞれの親しい友人たちが、5名ずつです。

続いて、リハーサルディナー

これもアメリカの結婚式には定番のイベントで、式の前夜に行われます。
付添人たちと、ごく近い親族、特に親しい友人たちだけで食事を共にします。(もっと少人数でまとめることもあり)
ごくカジュアルな形で済ませることもありますが、結婚式当日ほどではなくても、フォーマルな服装で参加する方がほとんどです。

近くにある、ビールの醸造所付きのレストランで、ビールもお料理もとても美味しかった♪
両家の親兄弟が同じテーブルを囲み、交流を深めました。
当日は忙しい新郎新婦ともたくさんおしゃべりできるし、お互いの友人を知ることができる良い機会だと思います。


そしていよいよ当日。

娘が泊まったホテルのスイートルームに、早朝から友人たちが集まりました。
花嫁の付き添い人はブライズメイド bridesmaids と呼ばれ、その長はメイドオブオナー maid of honor です。
ウエディングドレスの裾を持ったり、ブーケを預かったり、色々なことに気を配ってくれます。
ウエディングドレスを買いに行った時にも、彼女が付き合ってくれたそう!
娘のロースクール時代の親友や、勤務先の同僚が、全部で5人。
インド人やハーフの方で、やたらと国際的でした。

彼女たちは、結婚式のテーマカラーの色のドレスを着ることになっています。
全く同じデザインで揃えることが多いですが、今回は色だけネイビーブルーと決めて、あとは各自自由にというスタイルでした。
私もそこに混ざって、順番にヘアメイクをしてもらったり、プロのカメラマンに写真を撮ってもらったり、ワイワイ楽しかったです。

シャンペンを開けて、早々と乾杯もしちゃいました。
お揃いの紺色のローブ(娘だけは白)でくつろいでいたのですが、ついにウエディングドレスを着る時間に・・・!
背中のジッパーを上げるのは花嫁の母の仕事と言われ、その様子もしっかり写真撮影されました。

日本では、花嫁は決して日焼けしないよう気を付けると思うのですが、アメリカでは逆。
白いドレスに白い肌では不健康そうに見えるからとの理由で、せっせと日焼けサロンに通ったり、1週間ぐらいは持つスプレーで肌を小麦色にしたりするのです。

娘もこのスプレーを使ったらしく、確かに健康そうに見えたかも?
ドレスがきつくなると大変ですので、食べる量にも気を付けていました。


全員着替えてから、式が始まる前にかなりの時間をかけて屋外で撮影タイム
まずは花婿、その後に父親が、初めてウエディングドレス姿の花嫁に会う様子も、感動的でした。
夫は少し涙ぐんでいたみたいだな。。。(下の写真の後に、夫が振り返ってご対面)


セレモニー会場でみんなが着席した後、いよいよ娘と夫が腕を組んで入場。
入退場の時のヴァイオリン演奏は、息子の役目です。
娘を花婿にお渡ししてハグ。(その前に私も含めて親子でハグ)

アメリカでは、オフィシアント Officiant という資格を持った人に、結婚式を執り行ってもらうことになっています。
キリスト教の場合は牧師司祭が担当しますが、今回は宗教的色彩は抜きでした。
姪のひとりが、なぜかオフィシアントの資格を持っているので、司式をお願いしました。
明るくにこやかに式を進めてくれて、みんなの緊張感もほぐれた感じです。

途中で、甥がギターを弾きながら歌ってくれました。司式してくれた姪の弟です。
つまり娘のいとこたちで、子供の頃からとても親しくしています。

夫婦となる二人のそれぞれの誓いの言葉指輪交換三々九度の真似事までありました。
日本の風習も、少しだけ取り入れたいとのことだったのでね。
本物のお酒だったそうで、アルコールが回って娘の顔が赤くならないかとちょっと心配でした。
司式者の姪が、夫婦となった二人を皆さんに紹介し、そこでキス♪ おめでとう!!
「彼氏」、プロポーズ後は「フィアンセ」と紹介していた人が、ついに「夫」に昇格しました

フラワーガールリングボーイを、飼っているワンコたちにやらせようかという案もあったようですが、何が起こるかわからないので、それはボツになったそう。
(でも、ちゃんとおしゃれはしていた)


セレモニーが無事に終わると、すぐ隣りの会場でカクテルアワー
まだテーブルに着席はせず、時々配られる軽食を手でつまみながら、雑談タイムです。
親戚一同と、私たち夫婦の友人で娘を子供の頃からよく知っている人たちも集まり、あちこちで話が弾みました。

新郎新婦ブライズメイド bridesmaids とグルームズメン groomsmen(花婿の付添人)と共に登場すると、レセプション(披露宴)の開始です。
自分の名札を確認して、テーブル席に着きます。



招待客は、前もってサラダ2種のうちひとつ、肉料理・魚料理・ベジタリアン用の料理の3種の中からひとつをそれぞれ選択済みでしたので、それに従って料理がテーブルに運ばれました。

ひと通り食事が終わった頃、デザートの前にスピーチの時間です。
日本の結婚式ですと、会社の上司などの長ったらしいスピーチが続きますけれど、アメリカでは違います。
まずは花婿の親友である ベストマン bestman(花婿の付添人の長)が、ご来賓の皆様への歓迎の言葉と新郎新婦へのお祝いの言葉。花婿の紹介や暴露話も・・・
メイドオブオナー maid of honor(花嫁の付き添い人の長)も同じような内容で、それに続きました。

その次は、何と私の番!
「花嫁の母のスピーチ」を、娘に頼まれていたのでね。
日本ですと、花嫁が両親への手紙を読んで涙、涙・・・となるはずですが、こちらでは逆でした。

ベストマンメイドオブオナーが、iPhone に入れた原稿をチラチラ見ながらだったのに対し、私は昔ながらの紙の原稿を使用。
小さなスクリーン上で、どこを読んでいるかわからなくなったら最悪ですもの。

100名以上の方の前に立ち、皆さんの視線が一斉に集まっても、ちっとも緊張しなかったのはなぜだろう。
多分、自分が映画のシーンに入り込んでいるような錯覚に陥り、役を演じている気分だったような?

子供の頃のエピソードなどを混ぜた6分ちょっとのスピーチは、なぜか大好評で、笑いも取れたし、親戚や友人からも、全く知らない人にまで「泣かされた・・・」と後から言われてしまいました。
私としては、途中でつかえたりせずに、ちゃんと終わりまでスラスラ話せてほっとした、というのが一番だったのですが。
娘の顔を見ると崩壊しそうで心配でしたけれど、意外と大丈夫でした。
でも、娘のほうは大泣きだったみたい。

その次に「花嫁の父」としてスピーチした夫は、「あの大拍手の後ではやりにくかった」ですって・・・
夫は、人前で話すのは私よりずっと慣れていますが、やはり紙の原稿を片手に頑張っていました。

ケーキカットは省略で、その後ケーキコーヒータイム。
そしていよいよ、みんなが楽しみにしていたダンスの時間です♪

まずは「花嫁と花嫁の父」のラストダンス
そして、「花嫁と花婿」のファーストダンス
花婿が緊張しているのが感じられましたが、二人で見事に踊り切りました。
夫と娘のほうが、安心して見ていられた感じです。

その後はノリの良い DJ 登場で、みんなでダンスタイム!!
次第にアルコールも入ってきて、老若男女が入り乱れて大変な騒ぎで踊りまくりました。
夫を含め、アメリカでは70代でも頑張るのが微笑ましい。
私も頑張った。若かりし頃、六本木などで踊っていたのを思い出すな~
(その頃は「クラブ」でなく「ディスコ」と呼んでいました。)

ウエディング姿のまま、娘もずっと踊っていたのですが、片手にはカクテルグラス!
「真っ白なドレスにこぼれる~」と心配していた母です。。。

ブーケトスもありました。受け取った人が次に結婚できるそう。
誰が受け取ったのかな?
これは、日本の結婚式でも採用されているようですね。

踊っているうちに段々足が痛くなってきて、裸足になってしまった人も・・・
とにかく賑やかで、みんな楽しそう。
踊らなかった人は途中で帰ってしまいましたけれど、夜11時までの予定だったのが夜中12時まで延長となって、かなり大勢の方が最後まで残りました。

その後ホテルの部屋に戻ってから、また親戚数名が集まってビールと共にしばらくおしゃべり。
やっとベッドに入ったのは2:30頃という、長い長~い幸せな1日でした。


ちなみに、「新郎新婦」は英語で bride and groom で、必ず「新婦」が先です。
結婚式の主役は、あくまでも花嫁なのね~

2022/07/05

3年ぶりに親戚が集合した独立記念日

しばらくブログの更新をサボっていましたが、予定通りアメリカに戻り、娘の結婚式も無事に終わりました。
日本から息子夫婦が来ていて7月末まで滞在するため、1人で落ち着いて何かをする時間がなかなか見つかりません。

結婚式のことについてはゆっくり記録に残したいので、今日は週末の集まりについて先にさらっと書きますね。

4th of July と呼ばれる7月4日独立記念日は、アメリカ人にとって大事な祝日です。
一昨年はコロナ騒ぎでそれどころではなく、去年は少人数で小規模にお祝いしました。
今年は3年ぶりに、いつものように義妹夫婦の家に親戚一同が集まり、久しぶりに賑やかでした。

息子夫婦と新婚ほやほやの娘夫婦も参加で、金曜から4日間どんちゃん騒ぎが続いたのです。
(私たち夫婦を含め、3日目の日曜までだけ参加が半分以上でしたが)
今年は3世代で総勢20名。天気にも恵まれ、それほど暑くもなく寒くもなく最高でした。

予定では、もっと参加者が多いはずだったのにどうしたの?
何と、ここより北の町に住む義弟と下の義妹夫婦、その次女が、揃ってコロナに感染してしまったのです。。。
みんな本当に楽しみにしていたので、がっかりでした。

ボートの上で不参加組と FaceTime で話しましたが、何だか泣きそうになっていた人も・・・
来年こそは、全員集合できると良いのですが。


若い世代は、ハイドロフォイル hydrofoil と呼ばれるボードで遊んでいました。
パンデミックが始まる前の夏に甥が購入し、みんなに教えたのです。
一定のスピードを超えると揚力が出て、水面の抵抗を受けずにすべれるのだそう。

息子夫婦は今回初めての挑戦でしたがすぐに覚え、まるで宙を飛んでいるような感覚だと興奮していました。

初心者(写真は息子です)は、ボートが引くロープにつかまりながら。
でも、完全に水面から浮いていますね。


経験を積んでいる甥は、ロープを手から離して、ボートの作る波に乗ってサーフィンのようにすべっていました。


海だと自然の波に乗れて、もっとうまくいくのでしょうね。

私たちシニア組はこれを試す勇気はないので、若い子たちに拍手を送りながら、カクテルを飲んでまったりしていました。
いつもは避けている、ポップコーンなどのジャンクフードもたくさん食べてしまった・・・

夕食のために一度家に戻り、また湖へ。
今頃は日没9:30近くでなかなか暗くならず、花火が上がるのを待っているとかなり遅くなります。



料理はみんなの持ち寄りで。オードブル担当、ブランチ担当など手分けして、私はデザートでした。
いつもメイン料理を担当してくれる義弟が来られなかったため、品数もちょっと寂しかったけれどね。
料理の写真も、全然撮らなかったな。残念・・・

場所を提供してくれた義妹のご主人が、自分で釣った魚を使ったフィッシュチャウダーを、大量に用意してくれました。
とても美味しいのですが、バターたっぷりでいかにも高カロリーそう。
しかも、ほとんどボートで座って過ごしたので、身体がすっかりなまってしまった3日間でした。

今日は久しぶりにウォーキングしまくり、息子夫婦が作ってくれた和食でほっとしています。
ずっとアメリカ料理が続くと、無性にしょうゆ味を欲してしまう私たちです。