2022/09/25

人口が約2,000人から187人に減少・・・

私たちの住んでいる小さな町、今の人口はたったの187人だそう。
でも、木材の伐採・製材業が大変盛んだった時代には、それなりに栄えていました。

1895年にここに初めて製材所を建てた方のご子孫が、この町の歴史を証明する博物館を所有しています。
数年に一度しか公開されないので、前に行った時(9年前)のことはよく思い出せず、今回の公開が楽しみでした。

準備のための、掃除のボランティアにも出かけちゃった!
大きな倉庫いっぱいにたくさんの骨董品がずらり並び、蜘蛛の巣とホコリと虫の死骸に覆われていました・・・

アメリカでは、コロナ対策のマスクをしている人はもうほとんどいませんが、ホコリ対策に着けて行って大正解でした。
2時間半ほどホコリなどと格闘した後には、マスクをしていたのに鼻の穴が真っ黒に。。。
これじゃ、ウイルスもどんどん通してしまっているな、きっと。


さて当日・・・天気にも恵まれて大勢の来館者でした。
目玉のひとつは、ある方が全部おひとりで作成したという、1940年代から1950年代頃の町の模型です。


細かい所まで忠実に、その頃の町の様子が再現されています。
このレストランは、夫もよく覚えているそう。(古い人間ですからね)
何だかおしゃれ~♪ なくなってしまったのが残念です。


この町の最盛期の人口は、現在の10倍以上の約2,000人だったそう。
学校銀行郵便局ホテル食料品・日用品を売る店もあって、教会は4つも!
日刊ローカル新聞も発行されていたとのこと。
何と、刑務所まであったそうでびっくり・・・

店の前には、馬でやって来たお客様のために、馬をつないでおく柵もありました。
時代を感じますね。


そして、材木などを運ぶ汽車が走っていました。
これは私も覚えてる! 線路が、家のすぐ近くを通っていたのでね。(夫だけでなく、私も古い人間)

夏休みだけミネソタに来ていた初めの数年は、毎晩暗くなってから1度だけ汽車が通り過ぎていき、ライトが見えてガタンゴトンと走る音もよく聞こえてきたものです。

線路枕木を全部外してしまった廃線跡は、今では私たちの散歩道のひとつになっています。



別の建物には、最盛期の頃の民家の様子や町で使われていたもの、町に住んでいた方たちの写真などが展示されていました。



アンティークのレジや秤は、お宝感が漂っていますね。



この素敵なオルガン、私たちが結婚した頃に隣りの家(と言っても1キロ位離れている)に住んでいたおじいちゃんの所有物だったそうです。
子沢山だったので、お子さんたちも弾いていたのかな。


前にブログでご紹介した「100歳年上のお姉さま」について何か情報がないかなと、古い写真を丹念に探したところ、顔写真が見つかって大感激!
ご家族でカナダに引っ越してしまったとの情報も。

その後どうしてこちらに埋葬されたのか、他のご家族はどうされたのかは謎なのですが・・・
「お顔がわかりました♪」と、墓石に報告に行かなくては!


盛んだった製材業が廃れていくに従って、残念ながら町の規模はどんどん縮小してしまいました。
現在この町にあるのは、最初に製材所を建てた方のご子孫が守っている製材会社教会郵便局、そしてバー兼レストランがひとつだけ。

食料品も日用品も、車で25分位のもっと大きな町(人口約15,000人)まで買い出しにいかなくてはなりません。

とても不便ではあるけれど、自然に恵まれて穏やかなこの町に住めることを、幸せに思っています。
町の歴史をのぞけた貴重な1日にも感謝です。

3 件のコメント :

  1. 娘がミネソタに留学しており、よくブログ拝見しています。高校生ともなるとなかなか連絡がなくて、あっても必要事項のみなので、ミネソタの今を知れて嬉しいです。

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    1. 匿名さん、

      コメントありがとうございます。
      お嬢様からのご連絡が滅多にないのは、きっと毎日が充実していてお忙しいからなのでしょう。
      厳寒の冬が長いミネソタですが、屋内はいつも暖かいのでその点は楽です。
      冬でも青空が広がる日も多く、星空の美しさも格別で、お嬢様も楽しんでいらっしゃることでしょう。
      ミネソタは本州ほどの大きさで、私が住む北部と州都のある南部ではかなり違う面もありますが、ブログの記事が少しでもお役に立っているなら幸いです。

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