2016/02/26

アメリカでコロノスコピー (大腸内視鏡検査) 体験記2

昨日の記事の続きです。

コロノスコピー (大腸内視鏡検査) 当日のことについて

当日も、検査の2時間前までは、前日の規定に即した飲み物だけはOKでした。
起床時にグラス1杯の水を飲み、すっかり空っぽでゴロゴロと悲壮に鳴るお腹を抱えて、夫と共にクリニックへ。

画像はネットからの借り物。 入院施設のある総合病院に隣接しているクリニックです。


まずは受付で手続き。 フルネームと誕生日などが書いてあるブレスレットを左腕につけてもらいました。
こういうのをつけるのは、子供を産んだ時以来だな・・・


検査は2時間半位で終わると言われ、夫は Home Depot (日本のホームセンターみたいな所) などをウロウロして待っているとのこと。
受付のおばちゃん、「私だったら T. J. Maxx (ブランド物やグルメ食品、雑貨などのアウトレット店) に行けば、いくらでも時間をつぶせるわ~」 と嬉しそう。

こういう世間話も、いかにもアメリカっぽい・・・
検査が終わったら、夫の携帯に知らせてくれるそう。 私の持ち物一式も彼に預けてしまいました。


1人で中に入ると、背の高いさわやか青年が、「あなたの担当のトニーです♪」 と自己紹介。
体重測定後 (身長は聞かれただけ) 、個室に案内してくれました。

またしても、フルネームと誕生日を聞かれました。 アメリカでは月・日・年の順で表すことになっています。
このクリニックでは、その2つが日本での診察券代わりなので、度々聞かれます。
でも、なりすまし患者なんていないのかしら? 少し心配です。

今日は何の検査で来たのか、担当医は誰かも質問されました。 (手元のカルテと照らし合わせるためです。)
コロノスコピー colonoscopy の英語の発音は、コウラスカピー を強く) みたいに聞えます。
検査服に着替え (どうやって着るかも教えてくれた)、自分の服を同じ室内のロッカーに入れるようにとのこと。

「ロッカーの鍵は、僕がお預かりしま~す」 と、満面の笑顔を向けてくれます。
「びょういん」 でなく、「びよういん」 に来たような気がしてしまうわ。

検査服というのは、ほとんどくるぶしまで届くほど丈の長いガウンのような形。
背の高い人にとっては、膝丈なのでしょうね。

厚めでとてもしっかりした紙製なので、体の線が丸見えになる心配はありません。
普通のガウンを着る時の逆で、後ろが開くように重ね、両サイドのひもを前で結ぶようになっています。

日本では 「穴あきパンツ」 という赤面しそうなものを履かされると聞いていたので、ここでほっとひと息・・・
実際の検査時には露出度が大きくなってもっと恥ずかしいのかもしれませんが、どうせ意識がない状態なのだから、まあいいや。
冷えないようにと、厚めの靴下まで用意されていました。

さっきのさわやか青年が戻ってきて、「最後に食事をしたのはいつですか」 との質問。
「一昨日の夜よ。 昨日はネコのエサさえおいしそうに見えちゃった・・・」 と答えたら、笑っていました。

「今朝は何か飲みましたか」 とも聞かれました。
ここまで来て、「ああっ、それは飲んではいけなかったのです!」 なんて言われてしまう人もいるのかしら。。。

血圧、体温、脈などを測定してもらい、2日前の電話と同じようなことをまたしつこく丁寧に聞かれました。
病歴や、持病、薬アレルギーのことなど、たくさんの項目です。

ここで初めて聞かれたのは、次の2点。

 ・支払いについて、経済的な不安はありませんか。
 ・輸血が必要になった場合、それを承諾しますか。

ひええ~~っ。
滅多にないことですけれど・・・と前置きはありましたが、何か非常事態が起こった場合には輸血を承諾するという書類にサインさせられました。
エホバの証人 Jehovah's Witnesses ではないので、輸血でも何でもいいから助けてよ・・・
何だか不安になってきちゃった。。。


「何か用があったら、このボタンを押してね」 と言いながら、さわやか青年は去っていきました。
次に登場したのは、優しそうなおばちゃんナース。
脱水症状を防ぐ点滴用の針を、右腕に刺してくれました。

「足は上げておいた方が楽かしら」 とリクライニングチェアを操作してくれ、「テレビ観てていいのよ~」 と使い方を教えてくれ、「寒いかもしれないわね」 と毛布をかけてくれ、「まぶしくないように」 と電気をほの暗くしてくれ、本当に至れり尽くせり。

何だか、お姫様気分・・・


お次は、麻酔科医のおじちゃん。

聴診器で肺を調べてくれました。 それから喉と舌と歯のチェック。 ・・・なぜ歯まで?
入れ歯ではないか、確認したのかもしれません。

「リラックスするための薬を使いますよ」 とナースに言われた時点で、すぐに眠りに落ちるだろう、検査は眠っている間に終わるよと説明してくれました。

検査後はすぐに目が覚め、それほどぼうっとすることはないだろう、ただし事故が全くないとは限らないと、また脅かされちゃった。
でも、ここまで来て逃げ帰るわけにはいきません。 リスクもあることを理解しましたという文書に、またサイン。


そして、いよいよドクター登場!!
イン系ドの方とお見受けしました。 ここのクリニックは、外国人の医者が多いらしい。

自己紹介後に握手してくれ、約15分後にスタートしますね~と言いながら、私の膝をポンポンと親しげに叩き、去って行った。
ああん、この方に私の黄門様を見られてしまうのね・・・


それから、テレビを観ながら待ちました。
ドクターは15分と言っていたのに、1時間近く放置されてしまった。。。

さては、ランチタイムに突入しちゃったのかしら? それとも私の前の患者に何かトラブル?
おもしろい番組があったので、時間はどんどん経ちましたが。


やっと若いナースがやってきて、検査室に案内されました。 数人のナース、みんな笑顔でフレンドリー。
ほの暗い部屋にしばらくいたので、検査室の電気がやたらとまぶしい・・・
ベッドに仰向けになるように言われると、もう 「まな板の上の鯉」 の気分です。

ナースたちは、てきぱきと色々装着してくれました。
鼻には酸素チューブを入れられ、胸に3つ貼られたのは、多分心電図モニター用の電極
ホックの片方みたいな形です。 貼ったまま家に帰ってきてしまったので、記念撮影ね。


右手人差し指をはさまれたものは、血液酸素濃度計?それともを測るものだったかしら?
他にも何かつけられたかもしれませんが、よく覚えていません。
とにかく、あっという間に重症患者のような気分。

準備が整うと横を向くように言われ、いよいよ麻酔 (鎮静剤?) の点滴開始です。


   ちゃんと目が覚めますように。。。。。。。( ˘ω˘) zzzzzzz


とたんに眠りに落ち、検査の間は爆睡状態で何も覚えていません。

日本では麻酔などは使わず、自分でもモニターを見ながら検査を受けることが多いそうですね。
痛い思いをすることもあるとか・・・
恥ずかしい所を見られながら会話をするのも嫌だけれど、自分の腸の内部は見てみたかったかも。

自然に目が覚めたのか、ナースに声をかけられたのかわかりませんが、気がついた時には検査はすっかり終わっていました。
ちょうど30分位、意識がなかったことになります。 検査自体は20分位で終わったようです。

私が目覚めた時に1人だけ残っていたナースが、自分のお孫さんのことなどについて、楽しそうに世間話を始めました。
それに、彼女は私の夫と同級生だったそう! 悪ガキだった頃の彼のこともよく知っているのかも・・・

あなたのお肌きれいね~と褒めてくれました♪ DHCのおかげですよ~ん。
後から考えると、世間話をしたりお世辞を言ったりしながら、私の目覚め具合を確かめていたのでしょう。

話しているうちに、ガスが・・・
どんどん出すように言われたので、遠慮せずに出させていただきました。
空気を入れて腸を膨らませての検査だそうで、ガスを我慢するとお腹が痛くなるかもしれないそうです。

歩けますか?と聞かれ、すぐにさっきの個室に帰されました。
あの麻酔科医のおじちゃん、腕が良かったのかしら?
実にすっきり目覚めて、ボ~ッとすることは全くありませんでしたし、フラフラしたりもせず普通に歩けました。

コロノスコピーは全身麻酔 general anesthesia で行うのだと思い込んでいましたが、短時間の検査ですから、鎮静剤で眠らされていただけだったのかもしれません。
それとも投与量が違うだけ? この辺があやふやでよくわかりません。 もっとちゃんと聞いておけばよかった。


戻ってまた血圧などを測定してもらうと、ここでドリンクとお菓子のサービス
持って来てくれたメニューの中から、好きなものを選べます。 コーヒーとグラノラバーをお願いしました。
約40時間ぶりの固形食のおいしかったこと!

久しぶりの食べ物にありつけて幸せ気分いっぱいでいると、夫が迎えに来てくれました。
事故もなく、無事にまた会えてよかった~

しばらくすると、ドクター登場。
1つだけごく小さなポリープがあったので切除したけれど、50歳を過ぎればよくあることだそう。
他には異常なし♪

ポリープは、小さくても念のためにバイオプシー (生検) するそう。
これからも、5年に1度はコロノスコピーを受けてくださいねと言われました。


それから着替えてトイレに行くと、またガスが。。。 ここでかなりすっきり。

これから24時間は、1人にならずに誰かに一緒にいてもらうこと、重要事項についての判断をしないこと、法的書類にサインしないこと、重機などの操作をしないこと・・・などの注意がありました。

帰る時、一輪のバラと、ナースたちの自筆サインが入ったカードをプレゼントしてくれて感謝感激♪
きっと気分のすぐれない日だってあるでしょうに、プロ意識を持っていつも明るい笑顔で患者に接してくれる彼たち、彼女たちには、本当に頭が下がります。


そして、アメリカの医療ってサービス業なのだな~とつくづく思いました。

所要時間はちょうど3時間でした。  検査後に個室に戻ってから、何だかんだで1時間位弱。
検査前、意味不明に放置された1時間がなかったら、2時間で終わってしまっていたはず。


家に戻るとやはり少し疲れが出て、しばらくうとうとしてしまいました。 気持ち良かった~
特に食べ物の制限はなかったため、夕食は普通にいただきました。

思っていたよりずっとずっと楽に終わったコロノスコピー、これから受ける皆さんもどうぞご心配なく。
私の場合は、前日も当日も痛くて苦しい思いは全くせずにすみました。
腸がきれいになると、お肌もますますピカピカになるというウワサよ~


検査翌日 (今朝のことです)、クリニックから電話があり、その後の体調はどうか、何か質問はあるか、もっとこうして欲しかったことはあるか、など聞かれました。
細かい点まで文句を言う患者さんもいることでしょう。 電話確認は、大変なお仕事です。

実は、検査に一体いくらかかったのか、費用についてはまだわかりません。
日本と違って、病院で会計を終えてから帰るわけではなく、後から郵送で請求書が届きます。

加入している保険会社によって、かなり額が違うという話を聞きました。
ほとんどは保険がカバーしてくれるはずですが、ほっとするのはまだ早いのかもしれません。



追記) 後から郵送された請求書を見ると、もしまともに払ったらとんでもない額が!
    あれだけの検査に、何だかんだで6,000ドル以上!?
    でも、「ありがたや、保険さまさま」 で、自己負担分は83ドルちょっとですみました。
    アメリカでは、ちゃんとした保険に入っていない人は病気にもなれないというのを実感。。。



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8 件のコメント :

  1. 大腸の大掛かりな検査を受けられ、しばらくは普通の食生活に戻れないのでしょうか。
    既にご存じかもしれませんが、近い将来、Twin CitiesとTwin Ports間をNorhtern Lights Expressと称する列車が走行しそうです。http://www.dot.state.mn.us/nlx/ Twin PortsであるDuluthとSuperiorは、船の時代栄えたそうです。日本でも、戦前、札幌より小樽の方が栄えていたそうです。これも船の時代だったので。スぺリオ湖は、夏美しいので1度行ってみたいです。ダルースに友人もいるので。日本からミネアポリスへ飛行機で、それからこの列車でダルースまで行きスぺリオ湖を楽しむのも良いかも?スぺリオ市と茨城県の霞ケ浦のほとりに所在する阿見町は姉妹市です。阿見町に茨城大学の農学部があり、同大学とウィスコンシン大学スぺリオ校は交換留学制度があるそうです。

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    1. 匿名さん、

      検査の後の食事制限はなく、帰宅してすぐサンドイッチをいただきました。
      その日の夕食から普通食・・・何でも食べられるって何て幸せなのだろうとつくづく思います。
      病院によって違うと思いますが、前日は絶食というだけで、その前も特に制限はありませんでした。

      Duluth には、鉄道博物館がありますね。
      息子の彼女のお父様が鉄道オタクなので、Twin Cities から走るという列車の話をしたら、目を輝かせて明日にでも行きたがるかもしれません。(オーストラリア在住なのですが・・)
      私もいつかぜひ乗ってみたいです♪

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    2. よろしければ以下のサイトをご子息の彼女の父上へ呈上されては?             https://www.facebook.com/northshorescenicrailroad/            この列車は、ツインシティーとツインポーツの間を2時間半で走行するそうです。これは、車と同じくらいの時間ですね。

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    3. 匿名さん、

      ありがとうございました。
      日本の鉄道とは、ずい分雰囲気が違いますね。
      見たらとても喜ぶと思いますので、さっそくサイトを送ってみます。

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  2. 匿名さんのコメントで 急にやる気が・・・。在米中、何回もDuluthに行きました。好きな町でしたから。夫が働いている3MはDuluthの北のTwo Harbarsが始まりの場所。DuluthのGLENSHEENという邸宅とか お気に入りのHotel(名前忘れた)、お洒落な町です。父母が遊びに来た時には、更に北に行って、Lutsenの見事な紅葉に感激しました。狙って行った訳ではなく偶然でしたけど、日本では見られないスケールで喜んでいました。
    帰国後、Duluth&Supeiorに行きました。
    在米中には冬にもDuluth行きました。無謀だった?でも 冬も良かった!
    もう一度行きたいね、行こうよと夫と話しました。来年の3月に夫が 8月には私が 還暦を迎えるので50代のうちに行こう、行きたい。やる気が出ました。

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    1. Akko さん、

      あら~、私も来年3月です。 酉年仲間ですね♪
      私も、健康なうちにやりたいことをやり、行きたい所に行き、
      会いたい人に会っておかなくてはと思っています。

      Duluth はとても素敵な町です。 冬は行ったことありませんが、きれいでしょうね。
      楽しい思い出がたくさんありそうですね。
      うちの子供たちは、わざわざ Duluth まで行ってスカイダイビングをしたことがありますよ。
      それについては、私はまだ勇気が出ません・・・

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  3. 指につけたのは、いわゆるパルスオキシメーターで、酸素濃度を測定します。
    私は潰瘍性大腸炎という疾患で、1年おきに検査を受けていますが、そちらの腸管洗浄剤は凄いですね。
    日本だと大体2Lで、中々綺麗にならなければ、最高3Lぐらいは飲まされます。
    日本だと、ポカリスエットを不味くした感じ(ニフレックやマグコロール、ムーベン)と梅みたいな味があるタイプ(モビプレップ)、錠剤(ビジクリア)といった種類があります。
    ビジクリアは、100錠剤必要です。
    クリニックによっては、液体の薬剤は試飲が出来る所もあります。
    また、私の場合は検査前日に少量の液体の下剤(ラキソベロンやピコスルファートナトリウム(ジェネリック))、検査当日朝に小さい錠剤2錠(ガスモチン)を飲まされ、先に揚げたニフレック(2Lの下剤)を飲まされ、ブスコパン(腸管の蠕動運動を止める薬剤)を筋肉注射されます。
    検査着は下は、あなたも書かれていますがトランクスを逆に履いた様な下着で、上は幼稚園のスモックみたいな格好です。
    やっぱりセデーション(鎮静剤や鎮痛剤を投与する方法)が必要ですよ。
    セデーション無しだとかなり痛みがひどいです。
    横行結腸まで行けば楽ですが。
    肛門に麻酔と潤滑を兼ねたキシロカインのゼリーを塗られますがある意味気持ち悪いです。
    しかも施行が40超えた女性医ですから(笑)。
    大体S状結腸を超えた辺りで仰向けになり、脚を組まされます。
    で、組織を切り取る生検も行われます。
    入院中にも行いましたが、食事が無かったので、筋肉注射だけでした。
    私の担当医全員(研修医も含め)立ち会ってましたよ。
    まぁ難病で出血もあり、痛がりますからね。
    で費用は特定疾患での公費負担ですから2万円はいきませんが。
    日本だと早期のがんの治療として、ポリープを切り取るポリペクトミーや平たいがんを切り取るESDなども盛んで、そういった治療の権威として有名なのが、昭和大学横浜北部病院の工藤新英医師です。

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    1. 匿名さん、

      大変詳しいコメントをありがとうございました。
      1年おきの検査は大変ですね。
      私は実際に検査を受けた場面ではずっと眠っていましたので、痛みなどは全く感じませんでした。
      大勢の方が見ている中ででは、余計に緊張してしまうのではないでしょうか。

      この記事を書いた2016年には、前日に4リットルの下剤を飲みました。
      今年2017年のお正月の親戚の集まりで、なぜかコロノスコピーの話題になり、
      みんな口々に、4リットルは多すぎるよね~と言っていたのですが、
      その後すぐに夫が受けた時は、2リットルだけでした。
      同じクリニックなのに、1年でなぜ半量になってしまったのか謎です。

      4リットルに比べれば飲むのは楽だったはずですが、頻繁なトイレ通いで痔が悪化してしまい、
      翌日は歩くのも大変な状態・・・電話をしたら、それでも来てくださいと言われました。
      コロノスコピーのすぐ後に、続けて痔の手術となり、夫はしばらく辛い思いをしたのです。
      でも大腸にはポリープもなく、次は10年後でよいと言われたのがせめてもの救いでした。

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