2012年2月13日月曜日

2月なのにミネソタで原爆の話

昨日、所属しているオーケストラのコンサートがありました。

日本に帰っていたため練習する時間もなく、今回は参加をパス。
コンサートの本番だけは、聴きに行きました。

"History meets music" と題してのコンサートで、オッペンハイマーがどうのこうのと書いてあった・・・
オッペンハイマーと聞いて私の頭に浮かんだのは、よく運動会でバックに流れていた 「天国と地獄」 でした。

文明堂のカステラのコマーシャルにも使われている、
  ♪ チャンチャンチャンチャン、チャカチャカチャカチャチャチャン ♪ 
という、あの曲です。


しか~し、これは大間違いでした。 あの曲の作曲者は、オッフェンバックだった・・・
ありゃりゃ、何となく似てません?


ロバート・オッペンハイマー Robert Oppenheimer とは 「原爆の父」 と呼ばれた人物で、カステラとは何の関係もありませんでした。

コンサートは、Clay Jenkinson という人文科学部門の学者がオッペンハイマーに扮して、その生涯を語る形式で進み、合い間に色々な音楽が演奏されました。

第二次世界大戦当時アメリカが恐れたのは、原子爆弾がヒットラーの手に渡って、世界全体が破滅してしまうことだったそうです。
とにかくナチスドイツよりも早く原子爆弾を完成し、その絶対的威力を見せつけなきゃ!

・・・ということで発足されたのが "Manhattan Project" (マンハッタン計画)" なる国家プロジェクトでした。
その科学部門の指導者に任命されたのが、オッペンハイマーだったのです。

このプロジェクトには、当時の貨幣価値で約20億ドルという莫大な費用がつぎ込まれ、人類史上初の核爆発の実験にも成功します。


ところが当初の目的だったドイツは降伏し、原爆は広島長崎に落とされることになってしまいました。

戦争を早く終わらせることで、多くのアメリカ兵士の命が救われた・・・と正当化される場合がありますが、
これにより何十万人もの日本人の命が、一瞬にして奪われてしまったのです。


オッペンハイマー自身は、自分の開発した核兵器が、実際にこのような使われ方をしたことを遺憾に思い、
ヒンドゥー教の聖典の一節から、
 "I am become Death, the Shatterer of Worlds. (われは死神なり、世界の破壊者なり)"
と語りました。

その後、冷戦時代に突入してから、彼はソ連との核兵器開発競争を阻止しようとする派に転じたそうです。
水素爆弾などの開発に反対の立場を取るようになったため、研究所も追い出され、一切の公職を追われました。

天から与えられた類い稀な頭脳・・・けれども、それを授かった自分自身を呪う結果となってしまったわけです。
亡くなったのは63歳の時でしたが、晩年はすっかり老けこんじゃって疲れたご様子。
その瞳に、深い悲しみが漂っています。


彼の愛称は、オッピー!何だかかわいらしい響きではないですか。
もしその優秀な頭脳が、天文学などの分野に生かされていたら、彼もきっと穏やかな人生を歩んだことでしょうに。


コンサート会場では、多分私は唯一の日本人でした。
広島と長崎への原爆投下は、決して正当化されるべきではないという立場を取った話であったことに、心からほっとしました。
そうでなかったら、いたたまれなくて会場を飛び出していたかも・・・

コンサートの最後には、原爆投下時の汚らしいキノコ雲と悲惨な映像がバックに映され、まるで鎮魂歌のような 
エルガーの 「エニグマ変奏曲」 の第9番、 "Nimrod (ニムロッド)" が、静かに厳かに演奏されました。

音楽ってどうしてこんなに、言葉以上に語る力を持っているのでしょう。
このシーンにこれ以上ぴったりの曲は考えられないほどの、ナイスな選曲でした♪

じっと目を閉じて聴く人あり、少し目をうるませている人あり・・・
核兵器の恐ろしさについて、改めて考えさせられる機会が与えられたことに感謝です。

オッペンハイマーの話を聞き、あの映像を見て、ミネソタの方たちは何を感じたのでしょう。
今回も、盛大なスタンディングオベーションで締めくくられたコンサートでした。


ここミネソタの地で、しかも2月に、心の準備もなく原爆の話を聞くことになった、不思議な日曜日となりました。

カステラのつもりで気軽に出かけたのが、原爆についての重い話・・・
「長崎」 というキーワードだけは、何とか合っていましたけれどね!



おまけ  YouTube より Nimrod (Edward Elgar)



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6 件のコメント :

  1. おかべ なお2012年2月15日 21:34

    行かれたことあります?広島の原爆ドーム!記念館でしたかね、瞬間にして影のみが壁に残ってる等々・・展示されていたものが蘇りました。自然の力も怖いけど、人の手でなされるものはもっと怖い!彼の人生は辛いものになっていたのでしょうね。なんか気の毒

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    1. なおさん、

      残念ながら広島には行ったことがないのですが、
      高校の修学旅行で、長崎の原爆資料館を訪れました。
      思わず目を背けたくなるような写真、決して忘れられません。

      それなのに、オッペンハイマーが誰なのかも知らなかった自分が、
      かなり恥ずかしかったです。

      もし彼の立場だったらと考えると、
      やはり心から笑える日など、二度と来ないような気持ちになっていたと思います。

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  2. ハンドルネームがMIE-CHAから変わりました・・とても深く心に残るコンサートでしたね。
    原爆を発明した人がこんなにも苦しんでいたなんて 名前は知っていましたがその後のことは詳しくは知りませんでした。そんな悲劇の生涯を紹介しつつ 原爆NOというアプローチはとてもいい企画ですね。Nimrodもとても心に染みいる曲でした。いいお話ありがとう。

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    1. pee-cheeさん、

      ミネソタのさほど大きくはない町で、
      このような場が設けられたことに、かなり驚きました。
      私はすぐ帰りましたが、コンサート終了後、
      質疑応答の時間も用意されていたのです。

      原爆を落とされた日本の惨状、原爆開発者の心の痛みも共感し、
      核廃絶を冷静に考えようとする、とても有意義な企画でした。

      Nimrod のピアノ独奏版の楽譜もみつけたので、練習中です♪

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  3. この記事をアップしていただいてありがとうございます。興味深く拝見させていただきました。

    「もしヒットラーの手の中に完成された原爆があったとしたら…」

    想像しただけでも、今でも身震いがします。
    狂気の人というのは、考え方もまったく別の世界のレベルの人間…
    権力、カリスマ、人種差別、金、名声が次々に加わると、それは人間の顔をしたデーモン。

    ヒットラーがあの時代に、その凶器を振りかざしていたら、
    地球は既に終わりを告げていたでしょう。
    と私はこの記事を読んで思いました。
    そんなことを思いながら、Nimrodを何回か聴きながら書いてます。

    ある意味で、すてきなコンサートだったんですね…聴いてみたかったです。
    そういうときの、いたたまれない気持ち…Sakuraさんが憤慨するような内容のコンサートでなかったのがよかったです。

    人間の言葉を超えて人に伝えることができる音楽も素晴らしい…

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    1. chopiana さん、

      この記事に注目してくださって、ありがとうございます。
      所属しているオケの演奏を、たまには客観的に聴いてみたいと
      気軽に出かけたコンサートでしたが、
      とても重いテーマでした。

      核兵器の問題に真摯に向き合い、廃絶を目指そうという趣旨に、
      会場のお客様も心を動かされているのがわかりました。
      Nimrod は本当に泣けましたよ。 音楽は時には言葉以上に雄弁です。

      想像力を働かせて、被害に遭われた方たちの心に寄り添い、
      今できることは何かとみんなが考えてみる・・・
      注目される銃規制の問題についても、そんな態度が必要なのだと思います。

      核兵器はヒットラーの手にこそ渡りませんでしたが、
      狂気の独裁者は、まだ根絶したわけではありませんので、
      言いようのない不安を感じてしまいますね。



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