そのうちの1曲が、オーストリア生まれのフランツ・ヨーゼフ・ハイドン Franz Joseph Haydn 作曲の交響曲第88番ト長調です。
交響曲といえば、「第九の呪い」 という恐ろしげなジンクスがあります。
ベートーヴェン、ブルックナー、マーラーなど、交響曲を第9番まで作曲したところで亡くなってしまった作曲家が多いのは、本当に不思議・・・
それに比べると、生涯で104曲もの交響曲を作ったハイドンはすごすぎます!
もちろん中には駄作もあり、ベートーヴェンなどに比べると洗練度が違いますが、色々試みた努力には拍手を送りたいな。 (^-^)//""
ハイドンは 「交響曲の父」 と呼ばれ、第94番 「驚愕」 、第101番 「時計」 などは、特に親しまれています。
肖像画も、何だか実直なお父さん風ではありませんか?
ところで、ハイドンの交響曲第88番が作曲されたと言われる1787年は、日本では江戸時代でした。
ちょうど、徳川家斉 (いえなり) が第11代の将軍職に就いた年です。
家斉は、徳川の歴代将軍の中ではぶっちぎりナンバーワンの精力絶倫男として有名ですね。
「オットセイ将軍」 なんていうあだ名も!
将軍となったのはまだ15歳の時ですが、それから50年間も在位し (在位期間も最長!)、大奥が大・大・大好きでした。
正室の他に、わかっているだけでも16人の側室を持っていたそう。 (40人という説も!)
もうけた子女の数は53人、55人、57人などの異なった説がありますが、とにかく多かったことは確か。
エロすぎだろう。。。
(でも、半分以上が5歳を待たずに早世してしまったらしいです・・・)
大奥にかかる諸経費や莫大な養育費などが幕府の財政を圧迫し、やがて火の車・・・
各地の大名は家斉の子供たちを養子として押しつけられたり、無理矢理嫁にとらされたりで、名誉なこととはいえ大迷惑だったようです。
ハイドンと徳川家斉、同時代を生きていましたので、子沢山という共通点で結びつけてしまいましょう。
本当にハイドンにたくさん子供がいたわけではありませんが、自分が作った曲というのは、作曲家にとって我が子のようなものですもの♪
時を同じくして、西ではハイドンがせっせと曲を書きまくり、東では家斉がせっせと子作りに励んでいたというわけ。
さて、今度演奏する第88番は、モーツァルトやベートーヴェンっぽい部分があちこちに出てきます。
実際には、彼らのほうがハイドンに影響されたのですけれどね。
さすが、交響曲の父です!
構成がシンプルで、メロディーもリズムもわかりやすく、初見でもどんどん弾けてしまう。
ひたすら明るく温かくで、幸福感にあふれています♪
テンポの速いところはちょっと大変ですが、演奏していても楽しい気持ちになれる曲です。
悪く言えば、何か別の作業をしながらでも快適にさらりと聞き流せてしまう曲で、一度聴いただけではあまり印象には残らないのかも・・・
つかの間の快楽でも、それはそれでOKですよね♪
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こんにちは
返信削除お日様ピッカピカでもここ数日肌寒いミシガンです。
ハイドンと家斉。なんという楽しいリサーチでしょう!
これは歴史を学んだ私には興味津々の記事でした。
しかし、どうせホーリックなら、世に数々の名曲を
残したハイドンの方がいいですよね。笑
私の本ですか?これも世にださせていただきます。
今のブログでは書けないことが多くて、その方法を
考えています。さて・・・
いつも温かいコメントありがとうございます。
みどりさん、
削除ミネソタの気温は、まるでジェットコースターみたいです。
このところ寒くて、また冬のコートを着ていますが、
水曜には21℃まで上がるそう。 でも、その後再び急降下のようです。
みどりさんは “歴女” だったのですね!?
家斉は、成し遂げたことよりも、子供の数の多さと在位期間の長さによって、
人々の記憶に残る将軍となってしまいました。
我が子の名前、きっと全部は覚えていなかったでしょうね。
ちゃんとそれぞれの名で呼んでもらえるぶぅちゃんたちのほうが、幸せかも・・・?