ミネソタでは今、鴨(カモ)などのハンティングシーズンで、週末の早朝にはあちこちから銃声が聞こえてきます。
みんなが楽しみにしている、鹿のハンティングシーズンも近づいてきました。
夫はもうやめてしまったものの、この辺では、生き生きと目を輝かせてハンティングについて語る人の多いこと!
農耕民族の血が体内に流れている私は、ガーデニングの話なら楽しいけどね。
いつも雪かきなどでお世話になっている近所の友人も、そのひとりです。
彼とごく一部の人にだけは、我が家の敷地内でのハンティングを許可しています。
夫とその友人は共同作業で、土を耕して鹿が好むラディッシュなどの種を蒔きました。
最近雨が多いので、今青々と茂っています。
この一角にカメラも設置。何か動きを察すると自動的に撮影する仕組みです。
特に夜、エサを食べに来るたくさんの鹿が写っています。(時々、私が踊っている姿も?)
カメラ目線!? |
友人は、中に隠れて鹿を待ち受けるブラインドも設置しました。
景色に溶け込んで、鹿には感付かれにくいようです。
全体的には、こんな配置になっています。
エサでおびき寄せて撃つなんて、ずい分無慈悲なのでは?と私は思ってしまうのですが・・・
鹿狩りには「農作物の被害や交通事故を減らすため、鹿の頭数を調整する」という大義名分があります。
それなら鹿の食料用の畑などわざわざ作らず、自然のままに放っておいたほうが数が増えないのでは?と聞いたら、鹿には健康でいてもらわなくては・・・という答えでした。
狩猟民族の思考回路、よくわかりません(笑)
さて、成人向けのハンティングシーズンが始まるのは11月初め(弓矢はもっと前から)ですが、その前に10歳から17歳のハンター向けの期間が定められています。
(10歳から13歳は、18歳以上の監督者が必要)
今年は10月21日から・・・もう目前に迫ってきました。
近所の友人は私より若いけれど既にたくさんのお孫さんがいて、一番年上の男の子が今年も狩りに参加です。
週末にはターゲットを設置して、その子に銃の撃ち方の練習をさせていました。
練習すると前もって聞いてはいたものの、やはり至近距離で突然銃声が聞こえると、心臓に悪いです。
こういうのがいかにもアメリカ的だなと、感心もします。
夫も子供の頃にお父さんに銃の使い方を教わり、一緒に狩りに出かけたのがとても良い思い出だそう。
自分用の銃を初めて手にした時には、嬉しさに胸がドキドキしたとのこと。
この国では、一般人が銃を所有する権利が、当然のように主張されます。
銃による悲惨な事件が多発しても、自力で我が身を守る必要があった歴史的背景も理由となって、残念ながらこれは変わりそうもありません。
ですから特にハンターたちは、正しく安全な銃の扱い方を、責任を持って子供たちにしっかり伝えようとしているようです。
それにしても、ハンティングシーズンは私にとっては憂鬱な季節です。
普段とても心優しい甥なども、(言葉が悪すぎるかもしれませんが)この時期は殺し屋に変身・・・
食料用として撃つので、別に罪の意識などは感じていないのでしょう。
何しろ、狩猟民族ですからね。
私も一応「頑張ってね!」と声をかけますが、本心では「鹿さんたち、逃げて!」と。
狩りに成功した時も、「おめでとう!」の言葉とは裏腹に、心の中では「あ~あ・・・」と。
このシーズンだけ、突然二重人格になる私です。
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