2025/02/25

断捨離の一環でやっと処分した、四半世紀前の新聞

今日は2025年2月25日という、何だかきれいな日付です♪

今年の目標のひとつ「断捨離」・・・衣類やキッチン用品などはどんどんはかどっていますが、私にとって「思い出の品」は難しく、とても時間がかかります。
一度捨ててしまったら、もう2度と手に入らないものですものね。

自分はこの分野の断捨離が苦手なのだなと自覚し、あまり無理はしないことにしました。
それでも、「写真に残しておけば、現物がなくてもまあいいか」と感じたものは、そのようにしています。

クロゼットの奥から出てきた謎の袋、中身は何だろう・・・?
古新聞の束でした!

子供たちが生まれた日の新聞の他、昭和天皇が亡くなって平成に変わった時のもの、1999年大晦日と2000年元旦、自分が50歳になった日、銀婚式の日・・・など。
「絶対、後から読まないだろう!」と、今さらながら自分にツッコミを入れます(笑)

昔の新聞は色がずいぶん褪せてしまい、その頃の活字の小ささに驚きます。
当時、年配の方が新聞を読むのは難しかっただったろうな。
幸い(?)私はやや近眼という程度で、普段の生活で眼鏡はほとんど必要なく、昔の新聞も裸眼で読めるのですが・・・


子供たちが生まれた日の新聞だけは残しておくことにし、あとは「一面」だけ写真を撮って処分です。
(これも、後からチェックすることはないかもしれないけれどね)

せっかくなので、他のページも一応さっと目を通しました。
当時のテレビ番組、三面記事、古い広告、株相場、みんな興味深いものでしたが、まあこれっきりでいいかな。

1999年12月31日の新聞一面には、「雅子さま流産」のニュース。
お世継ぎを期待されるプレッシャーは大変なものであっただろうと、胸が痛みます。
けれどもその後、愛子さまという素晴らしいお宝に恵まれました。
ご両親に本当の意味で愛情深く育てられ、愛子さまは好感度100%の全世界に誇れるプリンセスにご成長なさいましたね。

そして、その翌日2000年1月1日の新聞。
21世紀の始まりは2001年1月1日なのですが、2000年が「ミレニアム」として盛り上がっていて、より記念日っぽかったので、こちらの新聞を残しておいたわけです。

ロシアエリツィン大統領が辞任し、代行にプチン氏任命」との記事。
ああ、この年だったのですね。


ですが、「プチン氏」?その頃は「プーチン」ではなかったの?
これには、かなりびっくりしました。プッチンプリンみたいじゃない?
いつから「プーチン」と表記されるようになったのでしょう。覚えていません・・・
もしかしたら、「プチン」と書いていたのは朝日新聞だけだったのかもしれませんしね。

英語ですと、 Putin の後半 tin は飲み込むような発音で、あまりはっきりした音ではありません。
「ティン」と読みそうですが、それとも違い、ましてや「チン」なんかではない(笑)

けれども、ウィキピディアに載っているロシア語の発音を聞くと、確かに「プーチン」が最も近いようですね。
国名や人名は、時々カタカナ表記のほうが、英語での発音より原語に似ていることがあります。
(余談ですが、フルネームは、「ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン」という冗談みたいな名なのも、「なぜそうなった?」と不思議に思います)

彼はこの年2000年の3月の大統領選に当選し、今に至るわけですね。
ここまで世界を騒がせる男になるであろうとは、あの時の記事では全く予想できなかったけれど・・・

当時のロシアでは、大統領は連続2期までと制限されていたため、2008年から2012年はドミートリー・メドヴェージェフ氏に大統領職を譲りました。
けれども次の選挙でプーチンが返り咲き、憲法改正により長々と大統領の座に居座り続けています。
(アメリカもそうならないよう、祈っています。。。)


2000年と言えば、今からちょうど25年前ですね。
人類の歴史においては、あっという間の「四半世紀」ですけれど、世の中はずいぶん変わりました。

当時はガラケーがやっとで、スマホの一般的な利用ははまだ先のこと。
子供たちが友だちと電話で話したい時は、まず電話を受けた親と言葉を交わすのが普通で、私が子供だった頃と全く同じでした。
これにより、自然に大人との礼儀正しい挨拶を学べた気がします。
親も、子供がどんな友だちと付き合っているのかが、ちゃんと把握できていましたしね。

SNS もなかった時代、みんなもっと落ち着いて暮らしていたのではないかしら。
SNS はとても便利で楽しいけれど、常にたくさんの人とつながっていて動向が気になるのは、何だか疲れるなと感じる時があります。

そして今から25年後の2050年、世界はどうなっているのでしょう。
バラ色の未来より、戦争、天災、新たなパンデミック、長く続いてきた日本の皇室の将来、心配の種のほうが多いです。

AI が人間を超えるシンギュラリティは、私たちの予測以上に早く到来するのでは・・・?
その時、人間はどうなってしまうのか。答は誰にもわかりません。

25年後、私はもうこの世にはいないかもしれませんが、子供たち、孫たち(ひ孫も?)の代の人々が、日々危機感にさらされることなく暮らしていける世の中でありますように。


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