おまけのページ

2012/02/28

晴れ、大雪、晴れ、そしてまた・・・

この頃、晴天の日と雪の日が交代でやってきます。

3日前ウォーキングから帰る時に、偶然こんなユニークな雲を目撃しました。
何だか巨大な温泉マークみたい・・・?



夫によると、この雲は cirrus clouds という種類だそうです。
日本語では巻雲(けんうん)。 専門家ではないので、間違っているかもしれませんけどね。


翌日の日曜には一転して、一日中が降り続けました。
これぞ、私が想像していた本当のミネソタの冬!・・・今まで、仮面をかぶっていただけなのです。

寝室の窓越しの写真です。 窓枠にも雪が積もっています。
義弟の車が、寒そうな様子。 

彼は、ほとんど毎週当たり前のように2、3日泊っていきます。 
朝に出発予定だったのが、道路事情が悪くてUターンしてきました。 ギャー!


バードフィーダーの屋根の上にも積りました。


近所の友人が、雪の降る中をわざわざレスキューにやって来てくれました。
門から家までたんまり積もった雪を snowplow でかき分け、車が走れるようにしてくれたのです。

持つべきものは心優しき友人、ありがたや、ありがたや・・・!!


一夜明けて、昨日はまたすばらしい天気でした♪
朝のうち、ダイヤモンドダストがキラキラと舞うのが見えました。

気温がうんと低くて、良く晴れた風のない日の朝にだけ見えるそうです。

地面にたくさん積った雪に顔を近づけてみると、ひとつひとつの雪の結晶が、はっきりとわかるのでびっくりです。
だから、あんなにサラサラで軽い雪なのね。

天文学的な数のあの小さな六角形が、そこら中に重なり合っているのかと思うと、気が遠くなりそうです。

しつこくてすみませんが、今日も雪の結晶の写真を載せますね。 繊細な形のものが写せたので・・・
いくら見ても、見飽きませんよね、ね、ね?


いつものウォーキングコースは、まるで妖精の住む森のような雰囲気となりました。
そのままでは雪が深くてとても歩けないので、スノーモービルで道を作ってから・・・




明日は、4年に1度だけやってくる2月29日です。
うるう年 (leap year) のことをググっていたら、4年前に書いた自分のブログ記事がヒットしてしまいました。
かなりの間、ほったらかしのブログなのですが・・・ ⇒ 英語で 「うるう年」 は?

「4年に1度」の原則にあてはまらず、うるう年にはならない年もあるのですね。
自分で書いたくせに、すっかり忘れていました。。。


今晩は、この冬一番の snow storm がやってくるという予報です。
週末までずっと、雪だるまマークが並んでいます。

ミネソタでは、3月に入っても春はまだまだ遠いようです。
あ~あ、温泉にでもゆっくり浸かりたい!

2012/02/24

雪の結晶、大安売り!

去年の12月に、雪の結晶 (snowflakes) の写真をブログに載せたことがあります。 ⇒ 「空からの手紙」

あまりにはっきり見えるので皆さんに驚かれましたが、その後暖かくなってしまい(ミネソタの割には・・・という意味ですが)再び見る機会になかなか恵まれませんでした。

けれども、とうとうチャンス到来です!!
夕べうっすらと積もった雪が、今朝になっても結晶の形を保ってくれていました。

  おおっ!まるで雪の結晶の大安売りのよう!

大きいのや小さいの、壊れかけたようなのまで、さまざまな形の結晶がたくさん見えます。
(写真の上をクリックすると拡大するので、よ~く見てくださいね♪)



こんなのが玄関のドアを開けた途端にタダで見られるとは、ミネソタ暮らしも捨てたものではないな~

湖にも行きやすいように、夫が雪かきをしてくれました。
この冬は今のところ雪かきなんて数回ですんでいますが、普通はもっともっと大変らしいです。


軒先には大小のつらら icicle も下がっています。
朝日を浴びて、キラキラと美しく輝いていました。 ポキンと折って、カクテルを混ぜるのに使いたくなってしまう♪


ちなみに、本日の日の出の時間は7:10 AM、日の入5:56 PMでした。
日本では、日の出が6:37 AM、日の入は5:51 PMだそうですので(兵庫県明石市で)、暗くなる時間はほとんど同じですね。

日照時間を目いっぱい使おうと、3月2週目の日曜日には、早くも daylight saving time が始まります。
11月初めに家中の時計を1時間遅らせましたが、今度は反対に全部進めなきゃ・・・

日の出も日の入も急に1時間遅くなるわけですから、調子が狂いそうです。


今週初めにまとまった雪が降りましたので、林のトレイルの様子もずい分変わりました。


ぐるりと1周すると、1時間ちょっとのウォーキングコース
2月だというのに、ずっと歩いていると汗ばむほどのこともあります。

家から駅まで、そして駅から職場まで、いつも歩いていた日本での暮らしと違い、ここでは車での移動ばかり。
意識して体を動かさないと、大変なことになってしまいそう!

時には鹿と遭遇することもある、変化に富んだこの散歩道があってラッキーでした♪


その他には、就寝前のヨガを欠かさずに・・・
そしてもうひとつ!YouTube でみつけたこのシリーズを、片っ端からトライ中です♪

ミシガン州 Grand rapids にある GR Dance Fitness のクラスの様子が、数多くアップされています。
中にはトロい動きの生徒さんもいて、何だか楽しいのです♪♪


2012/02/22

海を渡ったおひな様

23年前の娘の初節句に、両親がプレゼントしてくれたおひな様
引っ越し荷物と一緒に、はるばると海を渡って、ここミネソタにやってきました。
夫が大切にしている tea box(茶箱)の中に、厳重に保管しっぱなしでした。

気になりつつも、先週末はまたお客様が大勢押し寄せたため、なかなか出せずにいました。
やっと落ち着いた時間が持てたので、予定よりだいぶ遅れましたが、いよいよ1年ぶりにご対面♪

ああ良かった・・・どこも壊れていないし、カビ臭くもなっていませんでした。
23年経っても、シミひとつない真っ白なすべすべお肌、本当にうらやましい!!


さて、どこに飾ろうか。。。
内裏びなだけですが、やはりスペースを取ります。

家中歩き回って検討の結果、暖炉の上に落ち着きました。
(ご心配なく。 真冬の今は24時間セントラルヒーティングつけっぱなしで、暖炉に火を入れる必要もありません。)


出し入れが大変といえば大変ですが、このおひな様は毎年欠かさずに飾ってきました。
そのちょっと面倒な過程だって、楽しみのひとつなのです。

おひな様って、降りかかろうとする災厄を赤ちゃんの代わりに引き受けてくれる、守り神みたいなものだそう。
昔は、健やかに初節句を迎えらたということが、今よりずっと重い意味を持っていたに違いありません。

ひな祭り「桃の節句」とも呼ばれますが、なんて美しくて温かい習慣なのでしょう。
娘を思う親心は、平安の昔も現代もちっとも変わりません。


昨日は、久しぶりにまとまった雪が降り積りました。
おひな様も、1年ぶりに外に出てみたら、あたり一面の雪景色でさぞ驚かれたことでしょうね。


きれいで優しげなお顔のおひな様、娘も私もとても気に入っています。
幼かった頃の娘は、おひな様よりも、お飾りのひし餅丸餅が気になる様子でしたっけ・・・

お箸より重いものなんて持ったことなさそうな、お内裏様。
光源氏ってこんなお顔だったのではないかしらなんて、勝手に想像してしまいます。
 (きれいな男性には、すぐにコロリとなってしまう私・・・)



去年の秋に娘が飼い始めた子ネコのキキも、実は女の子なのです。
おばあちゃん(?)である私が、初節句のプレゼントをすることにしました。
小さな小さな、ウサギのおひな様です。


気に入ってくれるかな?
食事の途中でチラ見していましたが。。。おやつ獲物と間違えているかもしれません。

娘と子ネコの幸せ&健康を願って、おひな様たちは静かに微笑んでいます。


2012/02/13

2月なのにミネソタで原爆の話

昨日、所属しているオーケストラのコンサートがありました。

日本に帰っていたため練習する時間もなく、今回は参加をパス。
でも、コンサートの本番だけは聴きに行きました。

"History meets music" と題してのコンサートで、オッペンハイマーがどうのこうのと書いてあった・・・
オッペンハイマーと聞いて私の頭に浮かんだのは、よく運動会でバックに流れていた「天国と地獄」

文明堂のカステラのコマーシャルにも使われている、
  ♪ チャンチャンチャンチャン、チャカチャカチャカチャチャチャン ♪ 
という、あの曲です。


しか~し、これは大間違いでした。 あの曲の作曲者は、オッフェンバックだった・・・
ありゃりゃ、何となく似てません?


ロバート・オッペンハイマー Robert Oppenheimer とは「原爆の父」と呼ばれた人物で、カステラとは何の関係もありませんでした。

コンサートは、Clay Jenkinson という人文科学部門の学者がオッペンハイマーに扮して、その生涯を語る形式で進み、合い間に色々な音楽が演奏されました。

第二次世界大戦当時アメリカが恐れたのは、原子爆弾がヒットラーの手に渡って、世界全体が破滅してしまうことだったそうです。
とにかくナチスドイツよりも早く原子爆弾を完成し、その絶対的威力を見せつけなきゃ!

・・・ということで発足されたのが "Manhattan Project"(マンハッタン計画)なる国家プロジェクトでした。
その科学部門の指導者に任命されたのが、オッペンハイマーだったのです。

このプロジェクトには、当時の貨幣価値で約20億ドルという莫大な費用がつぎ込まれ、人類史上初の核爆発の実験にも成功します。


ところが当初の目的だったドイツは降伏し、原爆は広島長崎に落とされる結果となりました。

戦争を早く終わらせることで、多くのアメリカ兵士の命が救われた・・・と正当化される場合がありますが、これにより何十万人もの日本人の命が、一瞬にして奪われてしまったのです。


オッペンハイマー自身は、自分の開発した核兵器が実際にこのような使われ方をしたことを遺憾に思い、ヒンドゥー教の聖典の一節から、
 "I am become Death, the Shatterer of Worlds. (われは死神なり、世界の破壊者なり)と語りました。

その後冷戦時代に突入してから、彼はソ連との核兵器開発競争を阻止しようとする派に転じたそう。
水素爆弾などの開発に反対の立場を取るようになったため、研究所も追い出され、一切の公職を追われました。

天から与えられた類い稀な頭脳・・・けれども、それを授かった自分自身を呪う結果となってしまったわけです。
亡くなったのは63歳の時でしたが、晩年はすっかり老けこんじゃって疲れたご様子。
その瞳に、深い悲しみが漂っています。


彼の愛称は、オッピー!何だかかわいらしい響きではないですか。
もしその優秀な頭脳が天文学などの分野に生かされていたら、彼もきっと穏やかな人生を歩んだことでしょうに。


コンサート会場では、多分私は唯一の日本人でした。
広島と長崎への原爆投下は、決して正当化されるべきではないという立場を取った話であったことに、心からほっとしました。
そうでなかったら、いたたまれなくて会場を飛び出していたかも・・・

コンサートの最後には、原爆投下時の汚らしいキノコ雲と悲惨な映像がバックに映され、まるで鎮魂歌のような 
エルガーの「エニグマ変奏曲」の第9番、"Nimrodニムロッド)" が、静かに厳かに演奏されました。

音楽ってどうしてこんなに、言葉以上に語る力を持っているのでしょう。
このシーンにこれ以上ぴったりの曲は考えられないほどの、ナイスな選曲でした♪

じっと目を閉じて聴く人あり、少し目をうるませている人あり・・・
核兵器の恐ろしさについて、改めて考えさせられる機会が与えられたことに感謝です。

オッペンハイマーの話を聞き、あの映像を見て、ミネソタの方たちは何を感じたのでしょう。
今回も、盛大なスタンディングオベーションで締めくくられたコンサートでした。


ここミネソタの地で、しかも2月に、心の準備もなく原爆の話を聞くことになった、不思議な日曜日となりました。

カステラのつもりで気軽に出かけたのが、原爆についての重い話・・・
「長崎」というキーワードだけは、何とか合っていましたけれどね!

おまけ  YouTube より Nimrod (Edward Elgar)


2012/02/08

北国限定:真冬のお楽しみ

ミネソタの真冬って、寒くて暗くて長~い ・・・というイメージでした。
でも今年は雪が少なく、気温も平年よりずっと高い日が多いのです♪

私が尻尾巻いて逃げ帰らないようにという、神様の計らいだと思っています。

何と言っても、天気が良くて青空の広がる日が続くのがうれしいです。
真っ白な雪に映えて、陽の光がまぶしいこと!

夕べは湖の反対側から満月が上ってくるのが見え、夜中にも白い庭が月の光に煌々と照らされて、
とても幻想的な風景でした。
妖精たちが踊っているのが見えても、ちっともおかしくないような。。。


ミネソタンにとって、真冬の楽しみのひとつは、スノーモービルです。
知人から譲り受けたスノーモービルを、私も生まれて初めて運転してみました。

初めはビクビク・・・あまりスピード出せませんでしたが、慣れてくると次第に大胆になってきます。
カチンカチンに凍った湖の上を猛スピードで飛ばす、東洋の怪しいおばさんひとり・・・


夏には、シードゥー(水上オートバイ)や水上スキーで走りぬけたこともある湖面を、また別の乗り物で飛ばすのは、不思議で楽しい経験でした。

慣れてきたら、林の中でも運転です。
こちらは細い道で坂もカーブもあり、ちょっと間違えば木に激突しそう!あくまでも慎重に・・・


ミネソタ育ちの夫は、さすがに運転が上手♪ 途中から後ろに乗せてもらいました。
結構スピードが出るので、怖いです~


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話は変わりますが、数日前、林の木々に美しい氷の華が咲きました!
寒くて霧が深い日などに水分が枝に凍結して、真っ白な花のように見えるのです。

「霧氷」というのでしょうか。
蔵王の樹氷(夫は Snow monster と呼んでいました)を見たことがありますが、その赤ちゃんのようなもの・・・?

ミネソタでも滅多に見られないのだから、ちゃんと写真撮っておけよ~と、友人からわざわざ電話がありました。
はいはい、たくさん撮りましたよ♪




 湖の向こう側の林もぼうっと白くて、夢の中の景色のようでした。


はかないガラス細工のような氷の華・・・気温の上昇と共にすっかり溶けてしまいました。

東京で生まれ育った私にとって、自然が見せてくれる四季折々の美しい風景は、ひとつひとつが宝物です。
寒いからといつも家に閉じこもっていないで、北国ならではの楽しみをみつけていかなくては損ですね♪

2012/02/04

青春再び!

今日は、今回の里帰りのクライマックスだった
ジュリーとザ・タイガースの元メンバーのコンサート のことを書きます。
(すみませんが、またまた熱~く語ってしまいまいそうですので、興味のない方はさらっとスルーしてくださいね)

話は、41年前の1月24日に戻ります。

当時中学生だった私は、武道館で涙を流していました。
この世界がもう終ってしまうのではないかと思うほどの、悲しみに包まれながら・・・

大好きだったグループ、ザ・タイガースの解散コンサートが、そこで行われていたのです。

当時の雑誌の切り抜きも、まだ大切に持ってます♪



今年の1月24日、同じ武道館の二階席片隅で、私はまた涙を流していました。
今度はジュリーと元ザ・タイガースのコンサートで、年を重ねたメンバーの変わらない友情を目の当たりにしての、
感激の涙でした。

写真は朝日新聞より

普段は解放しないステージ後方席や立ち見席まで、全てが埋め尽くされました。
(13,000人集まったそう!)
前日に降った雪も、みんなの熱気で溶けてしまったほどです。

結婚前、いつもジュリーのコンサートに一緒に行っていた高校からの親友と、小学校からの親友との3人で行けたのもうれしかったです。

メンバーそれぞれにも、客席の元少年少女たちにも、41年もの間には本当に色々なことがあったはず・・・
それでも、気持ちは一気にあの頃に戻ってしまうものですね。
ジュリーの指差しに、あちこちでワーワーキャーキャー大変な騒ぎでした!

当時は、 「黄金の指」 なんて呼ばれていたっけな~


グループ解散後に芸能界をきっぱりと去り、猛烈に頑張って慶応大学を卒業し、高校教師となったドラムのピー(瞳みのるさん)が戻ってきてくれたのが、一番うれしかった。

体型はメンバーの中で一番変わらず、小柄で華奢ですが、とてもパワフルなドラムを聞かせてくれました。
曲順を間違えてみんなをコケさせたり、お茶目な所もそのまんま!!

今もとってもいいお顔してる・・・自分で納得できる人生を送ってきた人の顔ですね。
北京大学にも留学し、中国語関連の本も出版しているだけあって、ステージでの挨拶も北京語ででしたよ♪


味のある役者さんになったベースのサリー(岸部一徳さん)。
低音の歌声も魅力的だし、ベースの腕はかなりのもので、当時も一目置かれていました。
「サリー!」と呼ばれるのは久しぶりで、ファンの声援に「今さら急に言われても・・・」なんて照れ笑い。
客席も爆笑でした。

二人とも楽器からはすっかり遠ざかっていたのに、本当に音が冴えていました!
コンサートツアーのために、1日何時間も練習したようです。
いくつになっても「努力」する人は輝いています。


ギターのタロー(森本太郎さん)は、今でもバンドを率いてライブ演奏を続けています。
彼の作った「青い鳥」などの名曲は、優しさにあふれていて大好きです。

「お母さんは、僕たちを良い時代に産んでくれました」の言葉に、思わずうなずいてしまいました。
あの頃は、みんなが未来に夢を描くことができたキラキラした時代でした。
ジュリーによれば、昔「純情太郎」と呼ばれたタロー、今は「毒舌太郎」なのだそうですが。


ジュリー(沢田研二さん)は、さすがにプロとしてずうっと歌い続けてきただけあるわ~♪
その艶のある声に、体の芯からとろけそうになってしまいます~~

ザ・タイガースのボーカリストとして活躍していたのは、彼がまだ10代の終わりから20代の初めの頃でした。
63歳となった今では、かなり貫禄が(お肉が?)ついています。
でも当時の歌を歌うそのお声は、今でも甘くて切なくて王子様風なの♪

奥様の田中裕子さんと仲良くお酒飲んで、おいしいもの食べて、幸せ太りのようですね。
あんなにしっかり声が出るのも、あの体型のおかげらしいのですけど、もう少し痩せようよ・・・

この日は、病気療養中で歩くのもやっとだったシロー(岸部四郎さん)がお兄さんのサリーに支えられながらステージに上がり、1曲歌うというサプライズまで!!
ワイドショーなどで、激やつれの様子が報道されていたようですが、昔とちっとも変わらないきれいな高音で、
ビージーズの「若葉の頃」を歌ってくれました。

「このステージに立てたのは、全部ジュリーのおかげなんです」とのシローの言葉に、また涙、涙・・・
そう、ジュリーってとても男気のある所が、またステキなのです♪♪♪

写真は朝日新聞より

オリジナル曲だけでなく、コンサートでよく歌っていたローリングストーンズのナンバーなども数曲。
迫力あって、かっこよかったです♪
ストーンズだって、まだまだ現役で頑張ってるものね!
 (ここだけの話。 あの頃は気付かなかったけど、今聞くと英語の発音はちょっと???なところも・・・)


ザ・タイガースはアイドル路線を走らされてしまって、自分たちが本来やりたかったものから離れていき、結局は解散ということになってしまいましたが、演奏技術はかなりのものでした。

41年が経ち、あれやこれやのしがらみも捨て、彼らは心から楽しそうに演奏していました。
ああ、これぞ青春!って思いましたね。
ザ・タイガースの歌は、ファンの心の中の深い深い所で、いつも変わることなく響き続けているのです。

ファン同士でよく、これって宗教みたいね~なんて冗談で言ってますが、決して揺らぐことのない心の支えを持っているという意味では、確かにそうかも・・・?


ところで、海外からのコンサート参戦は私だけではありませんでした。
わかっただけでも、イギリスからも香港からも駆けつけた方がいらっしゃいました!
ファンの人たち、みんな生き生きとしてとても元気です。

コンサートのおかげで、またしばらくゴキゲンでいられそうだわ♪
今回は不参加だったトッポ(加橋かつみさん)のコンサート参加を目標に、また仕切り直しなのですって。

その実現を夢見ながら、このミネソタで、私もまたしっかり頑張ります!!



左からタロー、トッポ、ピー、サリー、ジュリー (シローは途中から参加)


おまけ ’71.1.24 の解散コンサートでは、メンバーもファンもひたすら涙でした

2012/02/02

日本に帰国して見えたこと

約半年ぶりの日本への里帰り、あっという間に夢のように過ぎてしまいました。
おいしい和食を堪能し、家族と友人たちからたくさんの元気と優しさをもらい、まだゴキゲン状態が続いています♪

「寒冬」の日本から「暖冬」のミネソタに戻り、夫と娘と子ネコとの暮らしがまた始まりました。


帰国してつくづく思ったのは、やっぱり日本は住みやすい良い国だな~ということ。

1.日本語が通じる♪

当たり前のことですが、相手の言うことが全部わかり、こちらの言いたいこともストレスなく全部言える・・・
これは何て楽ちんなのでしょう♪

テレビのお笑い番組にも、思い切りガハハ~ッと笑えます。
アメリカの番組だと、笑いのツボがわからないことがしばしば。
大勢の人と一緒に見ている時に1人だけついていけないって、結構辛かったりします。

私が本腰入れて英語の勉強を始めたのは、社会人となってからです。(夫と出会ってしまったのでね!)
英語での会話には、今でも集中力が必要・・・英語スイッチを ON にしておくのは、ずっとだと疲れてしまうのです。

2.電車やバスに乗って、1人で自由にどこにでも行ける♪

ミネアポリス付近は別でしょうが、この辺では車がないと動きが取れません。
今は家族3人なのに車は2台しかなく、ガソリン代も高くなったので、気軽に出かけられません。

そもそも、ぜひ行きたい!と思う所があまりないしね・・・

東京では、酔っ払ったって何とか家までたどり着くのも、ポイント高いです!

3.食べ物がおいしい~♪

味だけでなく、見た目の美しさも重視するのが和食のすばらしさ。
器にまで気を配り、栄養のバランスもとても大切にする日本の食事は世界一です!!

友人たちと行ったレストランでも、私は人一倍興奮しておりました。




世界各国の料理が、気軽に味わえるのもすばらしい!
日本人の口に合うように工夫され、本国のオリジナルより美味なのでは?

パンやケーキも、あり得ないほどにおいしい~~
種類も豊富だし、様々な新製品が常に店に並んでいますよね。
日本滞在中、うれしくて色々食べまくりました!

雪だるまパンの中身はクリーム&チョコ
和菓子もケーキも芸術品です!

4.公共のトイレでも落ち着ける♪

犯罪の温床にならないようにとの理由らしいのですが、アメリカの公共トイレのドアは下が広く開いています。
用を足している人の足が外から見えるほどなので、使用中かそうでないかはすぐにわかります。

個室の仕切りの壁もそう。
隣りの人の足も見えちゃって、落ち着かないったらありゃしない・・・
ドアの隙間から何となく外も見えるということは、見ようと思えば外からも見えそうじゃない?

久しぶりに使う実家のウォッシュレットにもうっとり!
う~ん、快適。。。

公共トイレに「音姫」がついているのもうれしいな。

アメリカには、「あの音」を人に聞かれることを気にするような、デリカシーのある人はいません。
何でそんなの気にする必要があるの?と逆に驚かれます。

確かに恥ずかしがる方がおかしいのかもしれないけれど、文化の違いだものね~
トイレに限りませんが、日本人特有の奥ゆかしさと謙虚さは、大切にするべきだと思います。

ただし郷に入れば郷に従えで、私もアメリカでは「音姫」なしで平気になってしまいました。 (⌒-⌒;)

5.アポなしで人がやって来ることがない♪

日本では、誰かを訪問するには電話やメールで都合を聞いてからが礼儀とされてますよね。
(地域にもよるかな?)
ミネソタの我が家には、近くまで来たからついでに顔を見に・・・などと、親戚や友人が急に現れることがあります。

夫は気軽に応対していますが、予定していたことができなくなって困ってしまうことも。
もう少し、空気読んでほしいなあ。。。



色々書いてしまいましたが、それでもミネソタに帰ってきてほっとしている自分に気づきます。
このブログのタイトル通り、まさに「住めば都!」なのですね。

「以心伝心」という言葉があり、口に出さなくても思いを推し量り、わかり合おうとする日本の文化も大好きで、
とても大切に思います。
そっとしておいて欲しい時には特に、黙って見守ってくれる優しさがありがたい。

でも、いつも自分の思いをきちんと言葉にして表そうとするアメリカ文化も、それはそれで素敵だと感じます。

交通は不便ですが、空気が澄み渡り大自然の懐に抱かれたこの土地は、やはりとても魅力的・・・
申し訳なくなるほどのスペースに恵まれ、体がのびのびと喜んでいるようです。

お気に入りの家財道具も思い出の品も、みんなこちらに持ってきてしまった今、私の生活の本拠地はここミネソタなのだなということに、うれしさ寂しさの両方を感じています。

どこにいても、私は私。
日本人としての誇りは決して捨てず、アメリカ人の素敵な部分も見習って、国際人として生きていこうっと!